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2003年3月23日

人間

アメリカがイラク攻撃を開始した。以前の日記にも書いたように、イラクの民間の方々が理由なく殺害されている以上、


アメリカの行為は悪である

という考えに変わりはない。

まあ、おそらく世界ではアメリカの行為を非難するのが主流である以上、面白みもないありきたりな意見だろうし、そうであることを喜ばしく思う。ただ残念なことに、一部の国の人々や、いくつかの国のトップの方々は、こうは考えていない。それぞれに立場があるために、正義のヒーロー的な考え方を表明することができないという事情もあるのだろう。ただ、心の底からこの戦争の正当性を信じている人々がいることは残念だ。まさに人間の多様性を示す格好例だと考えることにする。



上記のような主張をすると、フセインの虐殺こそ悪である系の、相手方の非を主張することによってアメリカの行為を正当化しようとする論理がしばしば登場する。


この手の論理の主張方法を見聞することは、
ディベート的能力を高める上で非常に有用である


なぜなら、「イラクは悪イコールアメリカは善」という論理は、


まったく誤っているにも関わらず、
主張される局面によっては、
正しいと人に思わせてしまう場合がある


からである。(一部略)

「まったく誤っている」とは、今回の事態について言えば、


イラクも悪かもしれないが、
同時にアメリカも悪でありうる


という意味だ。「相手が悪なのだから自分は善だ」などというのは、低脳かつ単細胞な考え方にすぎない。


 自分:善自分:悪
相手:善AB
相手:悪CD


というマトリクスがあるというだけのことだ。
単細胞な主張は、BまたはCしかない考える(もっと言えば、そういう主張をする人はCしかないと思っている場合がほとんどだ)が、現実には上記の4つの事象が存在するのだ。その現実を受け入れれば、単純に正義や悪を主張することの皮相さがわかるというものだろう。

まあ、もっと言ってしまえば「善とは何か? 悪とは何か?」を明確に定義することこそ最も困難なことなのであるが、今回は、アメリカが何がしかの論理で「イラクこそ悪である」と言っている以上、その言葉を使って自分の意見を書いている。



まとめてみれば、今回のアメリカの行為に対しての自分の意見はこんな感じになるだろう。

フセインは悪かもしれないが、よく分からない
独裁している以上、多分悪なのだろう
だが、それに戦いを仕掛けているアメリカが
正しいというわけではない
とりわけ、民間人をいわれなく殺害した以上、
アメリカも悪である
そして、アメリカの悪の度合いはイラクと何ら変わりはない




多数のアメリカ国民が9・11で殺害されたのが大きな悲しみであり、それを引き起こした行為への憤りを感じるのと全く同様に、今回イラクなどの人々が誤爆などで殺害されたことは大きな悲しみであり、憤りを感じる。
アメリカは、イラクの民間人に死者が出たことについて「遺憾ではあるが原因を作ったのはイラクだ」などとほざいていた。原因がどちらにあるのかはさて置くとしても、戦争である以上、人が死ぬのは当然起こりうることだし、マクロな視点で見る限りは正当かもしれない。
だが、個人にとっては、いわれなき原因によって命が奪われることは悲しみ以外の何ものでもなく、憤り以外の何ものでもないことには変わりはない。そしてその「いわれなき原因」とは、国家レベルでの判断基準とは大いに異なっているのが通常だ。今回の戦争で言えば人(たとえ敵方でも同じだ)が死ぬことを、誤差のようなものとして扱ってはならないと言いたいのだ。

これは特にアメリカに意識してもらいたい。まさにこのような非人間的扱いをいつの間にか相手方に対して行っている以上、テロの標的にされるほどの恨みを買うことになってもやむを得ないと考えよ、と言いたい。



読み返してみて、実に陳腐な人権的主張である。そして、そのような陳腐な考えを強く抱いている自分であることをうれしく思う。

人と人との付き合いとは、どちらが悪とか善とかに無理やり押し込めても全く意味がないのだ。それは国家とて同じだろう。もし相手の立場を尊重するのであれば(それこそが近代国家の採るべき立場のはずだ)、相手にYesと言わせるように粘り強く努力してこそ、望ましい関係を築けるのではないかと思う。


アメリカよ、
汝の祖先たる
彼の人の声
を聞いて
交渉の何たるかを
勉強したまえ!

投稿者 shingo : 2003年3月23日