2003年4月21日
ADSL→光
また少し涼しくなったが、もう冬の寒さは遠ざかってしまったと言ってよいだろう。冬の間はあの寒さが当然のように思っていたけれど、いつの間にか春が忍び寄ってきて、やがて季節を塗り替えていく。世界の中でも、日本の四季の移り変わりのコントラストのダイナミックさは特筆ものだろう。毎年毎年春に桜が開花し、そのたびに新たな生命の営みさえ感じられるような豊かな四季を感じることができるこの日本に生まれたことは、本当に幸せだと思う。
さて、話はぜんぜん違うが、この家に引っ越してきて以来700kbpsのADSLを使い続けている(正確には最初は開通せず、次はリーチDSLの 500kbpsだった)。とりあえず問題なく使用してきたが、プロ野球の今シーズンが始まり、再びわがタイガースをMBSの特等席で観戦するようになったら、この700kbpsが遅いと感じられるようになった。
そこで、有線ブロードバンドの提供しているType Vマンションというサービスに申し込んでみた。上下16Mbpsだという。これはもう、夢を通り越して
恍惚の
スピードではないか!(国領に住んでいたときも、最高の状態で3Mbps程度だった) マンションタイプである以上、大家さんとの交渉という課題をクリアする必要があるけれども、従来の光ファイバーサービスに比べ、マンション内での敷設が最小限であるらしい。ということは敷設できる可能性も高いのだろう。
Y(^O^)Y 今から非常に楽しみであるぞ! Y(^O^)Y
投稿者 shingo : 2003年4月21日
2003年4月13日
花見
先週の話になってしまうが、王子駅前の飛鳥山公園に、オーケストラの仲間達と共に花見に行ってきた。公園の中でたんまりとビールと日本酒を飲み、花見後に行った飲み屋(二次会)ではすっかり寝てしまった。最近、飲むと眠くなってしまう(さらに実際に寝てしまう)ことが実に多い。ううむ、実に相手に失礼であることよ・・・・会社で営業担当だったら大変なことになってただろうな。
ま、うちわでの花見なら寝てもいいだろう。定番の写真を載せてみる。

また来年も行きたいと思うのであった。
投稿者 shingo : 2003年4月13日
2003年4月 5日
ページ大更新!
久しぶりにページを大更新してみた。根本的なサイトリニューアルというのはちと難しいので部分修正にすぎないが、今までのこのサイトをご存知の方からすれば、自己主張性が強まったとお感じになるかもしれませんな。
ホームページで自己主張性が高まるのは極めて醜いと思うけれど、今日は昨今の大きな課題の一つがクリアされ、ちょっとばかりうれしいので、勢い余ってこんな風にしてみた次第。せっかくなら、見やすい方向にこのサイトも構築していきたいものでありますな。
トップに掲げたように、とりあえずはこの日記と、タイガース応援ページと、ITメモをメインにページ作成していきたいと思っております。
投稿者 shingo : 2003年4月 5日
2003年4月 1日
正義
先日の「アメリカも悪」説の最後に、ちょっとばかりおふざけを入れてみたところ、ふざけている!という意見を多数の方から頂いた・・・というのもまたウソであるが、自身、どうせなら最初から最後まで真面目に書いた方がよかったかな、と少しばかり思ったのも事実だ。
しかし、やはり、戦争賛美を真摯かつ声高に主張する人々に対しては、あれこそ最も望ましい反対意見だったと思う。げに、ペリーの声を聞いて、人と人、国と国との交渉の難しさを感じ、また、
やれやれ
とため息をついてほしいものである。「相手が間違っている!」「相手が悪だ!」などと叫んでいきり立つよりは、この程度で終わらせる方がよほどよい。
とまあどう書いてもペリーはペリーなのであるが、真面目な意見として、
「正義」の名の下に、他の人や民族や国家の悪を
糾弾する人々の行為は、ペリーの声を聞いて爆笑する
人々の行為と比べて、塵ほどの価値もない
と思っている。紛れもなくそう思っている(「正義の名の下に」そういう行為をする人々を批判している)。
こんなこと主張するのも、かつて自分がまさに上記の塵ほどの価値もない考えを抱いていたからだ。
自分は、そのような愚かだった時代のことを恥じもしないし後悔もしない。それは自分にとって必要だったのだと思っている。だが、その後、今のように気付くことができたことはもっとうれしい。
笑いあるいはふざけていても、しかし他の人々に対して恨みを抱くことなく生きることができるのであれば、それこそ望ましい状態だと思う。「正義」の言葉のもとに、他の人々を恨み、憎しみ、傷つけるのであれば、それは何の価値もない不毛な正義感だ。
そのような正義ならば、正義になどなる必要はない。いや、正義になってはならない。それはただの独善にすぎない。
昔の自分であれば、このような考えには同意できなかっただろう。また、イラク攻撃を正当化している方々にもやはり同意できない意見に違いあるまい。
もちろん、正義を主張したくなる時はある。どうしようもなく不正と思われることが目の前にある時、正確な定義も分からないままに
正義を守りたい
と思う衝動に駆られることがあるのも人間だ。そのような衝動が、より良きものへ人間を導く力になることがあるのも事実だ。そのような熱い思いを抱いて努力しつづける人間の営為に対しては、心からエールを送りたい。
だが、正義を主張するために他の人の命を奪うにまで至る場合、それは一体どういう意味をもつのだろう? それを主張する権利は、一体誰にあるのだろう? そのような主張は単なるエゴに過ぎないのではないか?
もちろん、武力行使がやむを得ない場合というのは、悲しくも人間社会には存在すると思う。人間が人間である以上、それは避けられないのだろうとすら思う。だが、その時に「自分こそ正義である」と主張する根拠は、一体何から生まれるのか?
だいぶ難しい問題になってきた。そろそろ自分の考えの手には負えない。あるいは、「こう考えればうまく説明できる!」という説があっても、おそらくどれも納得できないだろう。
つまるところ、キリスト教的に言うところの「自分は罪びとである」というところに行き着くのだろうか。つまり、「誰もが罪深い者であるので、『自分こと正義である』と主張することはできない」という結論になるのではないかということだ。おそらくそういう結論になるだろう。少なくとも自分についてはそうなるのだろうと思う。
考えることの放棄と言ってよいかもしれない。この年まで生きてきた者としては、恥ずかしいとも思う。
だがそれでも、いろいろな理屈をこねた上で自分の正義を正当化し、他者の命を奪うことを当然と思う結論に至るよりは、たとえ戦いになって相手の命を奪うことになったとしても、「自分が生きるためにはやむを得ないことだったのだ。おそらく神の前では裁かれるであろう罪を自分は犯したのかもしれないが、しかし自分はこれが正しいと思ったからこうしたのだ」くらいに思えていた方がよいと自分は思う。
アメリカも、いろいろな事情がある中で開戦に踏み切ったのだろう。そして、国家元首たるものは、自分の行為の過ちを簡単には認めることができない立場にいるのだろう。実に人間社会は単純には行かないことであることよ。
しかしそれでも、「自分こそ正義である」という主張は醜い。
人の数だけ真実がある
これこそがこの人間社会を律する唯一の法則だと思うからだ。
投稿者 shingo : 2003年4月 1日