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2003年9月 7日

ジョギング

昨日の話だが、荒川土手の近くに住み始めてから1年、初めてジョギングで土手を走ってみた。あとで気付いたのだが、昨日の最高気温は32度だったそうだ。道理で、2階から水を浴びせられたほど汗が出たわけだ。

マラソンやジョギングには、およそいい思い出などない。辛く、しかも選手になれるほど速かったわけでもないから、昔から楽しい思い出なども皆無だ。
ただ、それらの否定的な思い出は、他人と競い合いながら走ったゆえに築かれたものかもしれない。だから、走ること自体を味わうことができれば、もしかすると楽しいのかもしれない。

そんな思いも少し抱いて走ってみた。
だが、走ってみて、


やっぱり楽しくなかった。

辛いことは以前と同じだった。したがって、この辛さに加えて順位まで付けられてしまう中学校のマラソンが苦痛だったのは、ごく自然なことだったろう。

それでも、土手から、遠くに人々や楽しそうに走る犬、さらに遠くに夏の思い出を抱きながら漂う雲を眺めていると、安らかな気持ちになることができた。走っていた時間は正味20分程度、歩きも含めて全体で40分程度だったけれど、いつもの週末に比べると、生きていることを強烈に感じることができたひと時だったと言ってよいだろう。


もちろん、帰ってきてからは楽園だった。まずシャワーを浴び、火照った体を十分に冷ました。そして、シャワーから上がり、体を拭いてからが本当の楽園の始まりだ。

これだけ運動したのだから
クーラーかけまくってくつろいでもいいだろう
ビールをたらふく飲んでもいいだろう

という言い訳無敵モードに一直線に突入した。それは環境に優しくなくかつリバウンド街道まっしぐらな状態であるにも関わらず、理性はまったく役立たずに追いやられてしまった。実際、クーラーはこの上なく快適で、ビールはどんな絞りたてよりも美味しかった。

もしこの状態で頑張れば(クーラーもつけず、ビールも飲まなければ)健康によく、さらには痩せることもできるのかもしれないが、辛いことを経た後の開放モードの頭には、そのような理性を怒涛のように押し流す力がある。げに人間は感情の生き物であることよ。
そして、そのような開放モードの感情に浸っている時の喜びの方が、理性で律することにより得られる喜びよりも強力かつ心地良いのも事実だ。

とはいえ、開放モードのときに辛いことがあると、修復不能にまで傷ついてしまうこともありうる。したがって、常に開放モードで生きることにより受けるかもしれないダメージから自分を守りたいと思った者は、やがて理性で自らを律してゆくのだろう。ささやかながらも、自分もそうやって今に至っているのだと思う。おかげで、心を揺さぶるような喜びに出会えることは極めて少なくなってしまったように思うけれど、昔時折訪れた、すべてを無に帰すようなダメージを受けりこともほとんどなくなったと思う。そして、それでよかったと思う。

それでも、開放された喜びを感じたい、開放された喜びに出会いたいと思う気持ちももちろん抱いている。自分の持たないものに憧れるのも、おそらく人間たるものの業なのではないかと思う。

昨日のジョギングは、久しぶりに幸せな開放感を感じることができた。しかも、走っている時の苦しささえ乗り越えることができれば、ジョギングで傷ついたり苦しむことはない。
そうか、ジョギングの楽しみはここにあるのか。
また走ってもいいな。

投稿者 shingo : 2003年9月 7日