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2006年12月27日
楽観と悲観
楽観と悲観、どちらがいいかと面と向かって質問されれば、おそらく誰でも楽観というだろう。
これがWeb上でのアンケートなら、やはり回答する人は楽観を選ぶだろう。目立ちたがり屋とかは悲観を選ぶかもしれないが。
基本的には、楽観と悲観どちらを「選ぶ」かと言えば、楽観を選ぶ人がほとんどだろうと思う。
だが、どこか据わりの悪さを感じる人もいるのも事実だ。
もしかするとかなりの数の人が、「そうは言っても」と感じるかもしれない。
自分もそう感じる一人だ。
それがどういう感情に基づくのか、表現するのはなかなか難しい。
「楽観か悲観かと言われれば、楽観的でいたい。でも、楽観的でいようとしてもうまくいかなかった経験もあるし、けっこう辛い失敗もあった。悲観的と言うべきかどうかわからないが、慎重にしなければならない時もあり、その時は楽観的であってはいけないように思う」
こんなところか。
最近、ようやく自分の中ではすっきり分類できる指標が出来たので、備忘録として書いておく。
後者については反論のある人も多いだろう。自身も言葉の据わりの悪さは感じる。
それは、「悲観」という言葉に込めている一人一人のニュアンスの違いが原因だろうと考えている。
たぶん、悲観を「慎重」といった言葉で置き換えれば、多くの人が納得できるはずだ。
だがあえて、他人が関わる場合は「悲観的でもあれ」と書いておく。
それは、「楽観的であれ」という言葉ばかりが強調されることによる弊害があることを忘れたくないからだ。
「楽観的であれ。でも慎重になれ」という言い方は無責任だと自分は思う。
「楽観的であれ!」だけを言う人は、どんなときも楽観的に考えてさえいれば成功する、くらいの確信を持って言ってもらいたいものだ。
たとえば次のような場合でも楽観的でありさえすれば成功する、とおっしゃるのなら私は上記の意見を撤回し、平伏する。
「不確定要素の多いプロジェクトだ。でも楽観的に考えて頑張れば成功するよ。」
「彼女が好きだ。彼女が自分と付き合ってくれるかは分からない。でも楽観的に考えて告白すれば成功するよ。」
「いじめられて辛い。でも楽観的に考えて明日登校すればいじめられなくなるよ。」
「楽観的であれ」を主張する方は、今挙げた3つの命題にも一つ一つ反論できることだろう。
その反論に対しては自身も再反論できると思う。
ただ、もしそういう意見のやり取りをしたとしても、大抵の場合、事実の認識の違いや言葉に込める思いの違いを認識し、ちょっと嫌な後味を残していつの間にか終わるのだろう。
だから、「楽観的でありさえすればよいのか?」のような神々の論争を誰かとしたいとは思わない。
論争で相手を説得しようと試みようという行為自体、「楽観的であれ」という命題をそのまま受け入れられない人にとっては何の意味もないからだ。
私が言いたいのは、こんな感じだ。
特に他人が関わる事柄の多くは楽観した通りにならないことが多い。
だから、「楽観だけではいけない場合もある」と戒めておくことで、より有効な指針として覚えておきたい。
そしてその「楽観だけではいけない場合もある」を、あえて「悲観的でもあれ」という言葉にしておきたい。
行政の多くのプロジェクト(公共事業系の多く)は、まさに上記の指針と真っ向から反する態度で臨んでいるせいで失敗が多いように思う。
- 観光客誘致のための施設作り。利用客の見込みを楽観的に考えてしまったため、後で大幅な見込み違いが発覚し、大きな赤字を抱えた。
これ面白いから、気が付いたら上記リストを追加していこう。
投稿者 shingo : 2006年12月27日 | コメント (0)